豆は「しあわせ」のタネである

豆農家さんをめぐる旅(1)北海道・訓子府

7月初めからの出来事、書き記す余力がなくて今になりました。

豆兄貴に会いに行く/女満別空港〜訓子府(くんねっぷ)

7月3日、関空から札幌経由で女満別空港へ。空港バスで帯広まで行き、乗り換えて北見へ。

そこからまた乗り換えて訓子府駅前バス停へ。訓子府駅は廃線になって、駅と名のつくバス停です。朝早くに京都を出て、およそ8時間の道のりでした。

宿泊は「旅の宿 くんねっぷ」に、お世話になりました。

訓子府を訪ねたのは、敬愛する「豆兄貴」こと、石川修さんの取材です。到着日の夜に「六三四」さんで、お食事をご馳走になりました。ぼたん海老、ホタテ、焼き牡蠣、ホッケ、なんかいろいろ海の幸を山のように味わいました。

訓子府の農業者さんの話、料理の学校に行き、ホテルのシェフとして働いたこと、豆兄貴の初恋と失恋の痛手、奥さまとの巡り会いなど、お酒のチカラもあって普段はお聞きできない話もたっぷりと‥‥

もしも、豆兄貴と知り合うことがなかったら、私はおそらく訓子府という土地と一生縁がないまま人生を終えたのではないかと思います。

豆兄貴の取材は2016年国際豆年の夏に「家の光」の取材で伺うはずでした。が、豪雨により豆兄貴のお家の近くの道が崩壊し、畑も危険にさらされて止まない雨のせいで流れてしまいました。ですから、3年がかりの実現です。行こうと思えば、自力で行くこともできたのでしょうが、私は豆兄貴を「取材」して書きたかったのです。

東京で会うときは、いつもお酒が入った状態で、農業の話をしようとしても浮かれモードで楽しい場をこわす気がして‥‥ シラフで話が聞きたかったのです。自分で豆兄貴の畑に立って、自分で訓子府の空を見上げ、自分で豆が育つにおいを嗅ぎたかったのです。だから、訓子府へ行きました。

 

諸々のことは、取材原稿に書くことにして

忘れてはならないことを書き残しておきます。

7月4日、朝。その日は豆兄貴のお父さん、お母さんもおられ、少しお話をすることができました。お母さんのお名前は、ツヤコさん。豆兄貴の名前は、修さんです。豆兄貴は「俺は、豆で人生変わった」と言います。

「俺は人のために仕事をしている。コックやってたおかげで、お客さんに喜んでもらうことを考えて作物を作ってる」と言います。厨房と畑、鍋と機械、素材と作物、最後は人の口に届くから、と。

農業をやって利益を考え、資金繰りをしてお金と仕事を回す。農業は自然の影響を受けやすいから、儲かった年に喜んでそこだけを考えたり、自然災害で不作だったことを憂いて落ち込んだりしていては農家を続けてはいけない。農業やって、儲けを目的にしてはいけない。農業だって、目的は人のため。好きを貫き通すからには、人に喜んでいただくことを目的にしないと続けられない。

そんな話を、畑の真ん中で大真面目な顔して聞かせてくれるのです。坊主頭に鉢巻きの豆兄貴。

 

訓子府の豆畑を走る

「この畑、向こうまでどれくらいありますか?」「紫花豆はね、100間弱かな。180mないくらい」と聞いて、畑の向こうまで走ってみることに。

レディー、GO! 自分でスマホのストップウォッチで計りました。紫花豆は、1分13秒49

1分を切れなかったことが悔しくて、息を調え再度挑戦。今度は、とら豆の畑を走りました。

とら豆畑100間走、1分02秒64、‥‥あぁ、またもや1分切れず。いま思うと、あれは「時を改めてまたいらっしゃい」という豆の神さまの思し召しだったのかもしれません。

自分の足で、豆兄貴の畑に立てたこと、ビードの畑を消毒する大型の機械に乗せてもらったこと、一緒にとら豆スープ「大地の煮込み」を作ったこと、隣の部屋で昼寝をしたこと、一緒に魚料理で飲んだこと、忘れません。

豆兄貴、ありがとうございました。

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豆・豆料理探検家
豆料理アドバイザー

五木 のどか

福岡県生まれ、京都市在住。個人事務所 who(ふー)所属。豆の原稿執筆、レシピ開発、販売促進などに携わる傍ら、豆好きな人を増やすため、豆料理の楽しさやおいしさ、使い方を伝える活動を展開している。 | 詳細はこちら

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