豆は「しあわせ」のタネである

始まりは、河原スピリット

博多 一風堂 河原成美ファウンダーの講演を聴く

博多純系豚骨らーめん まんかいの奥長店主にお誘いいただき、梅田で開催された河原ファウンダーのご講演(主催:サンワード貿易株式会社)を聴かせていただきました。

2017年の羅針盤 成功者からのメッセージ と題したニューイヤーセミナーの第一部が、河原ファウンダーでした。いつものように、私は前から2列目で聴かせていただきました。

河原成美さん、64歳。一風堂を創業してからの約30年と、これからの30年。

ラーメン業界の底上げをして、日本のラーメン業界を変えると走り続けた河原さんは、いま、世界のラーメンのステージを変えていくと大目標を掲げ、地球の周りをグルグル奔走する日々を過ごしています。

64歳の河原さんが、44歳のときから12年ほど、私は河原さんの原稿を書かせていただいていました。河原さんがラーメン屋だったから、私はラーメンの原稿を書きました。

「ラーメン業界の横のつながりを作る」ために、一風堂の運営会社:力の源カンパニーで発行されていたフリーペーパーを10年、担当させていただきました。2ヵ月に1回、10年、合計60人のラーメン屋さんを、私は取材させていただきました。

河原さんや全国のラーメン屋の店主さん、スタッフさんたちと会い、話を聞き、書かせていただいたあの10年があるから、いま、私は豆のことをやれているように思います。

 

ラーメン業界と豆のこと

同じ業界に身をおく人たちが、互いの鍋の中をさらけ出し、苦難を乗り越えた話をし、壁にぶち当たったときに助けを求め、力を貸し、知恵を授ける人がいる。それが、ラーメン業界です。

「新横浜ラーメン博物館の岩岡洋志館長との出逢いが、いま、ラーメンの仕事をしている自分の一番の転機だった」と河原さんは、言っておられました。

今は亡き山岸一雄さんや佐野実さんたちがそうであったように、河原さんもまた、業界を牽引し、変えてきた一人です。そういう方々の直ぐ近くで、業界が活性化し、グングン成長する様子を見させていただきました。

あの10年があるから、私は豆の業界に未来を描くことができます。

ちっぽけな自分に大きなことはできないけど、私だからやれることがあるはずです。

 

河原成美ファウンダーの言葉より、メモ書き

「まずはラーメンありき ではなく、まずはお客さまありき、それが自分たちの仕事」

「やがて来る後輩たちのために、誠意をもって、いま自分たちができることをやる」

「一所懸命に、無我夢中になっているとき、まるで、もののけに取り憑かれたように何かに夢中になる、そんな時間を過ごすのはいいことです」

「30年やってきて、店や会社は少しは有名になった。だけど、そんなことはどうでもいい。僕たちはいつも、チャレンジャーであり続ける」

「足元を深く掘っていけば、たくさんの真理、真実がある。世の中に何が起きようとも、先にあるのは、希望と愛です」

「継続は力、がんばっていきましょう」

 

河原成美さんは64歳の今も、とてもエネルギッシュに、聴衆を魅了する話を聴かせてくださっています。内容ある「成功者からのメッセージ」は、聞き応えある90分でした。そして、その魂は20年前のあの頃から、少しも衰えていない。そのことを実感できた今日という日は、素晴らしい1日でした。

河原さん、ありがとうございます。「豆のことをやるんやったら、お前もガンバレ。もののけに取り憑かれたくらい、やってみろよ」と、全身で気を届けてくださったのだと思いました。

 

この機会を与えてくださったサンワード貿易さま、奥長義啓さん、ありがとうございました。

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豆・豆料理探検家
豆料理アドバイザー

五木 のどか

福岡県生まれ、京都市在住。個人事務所 who(ふー)所属。豆の原稿執筆、レシピ開発、販売促進などに携わる傍ら、豆好きな人を増やすため、豆料理の楽しさやおいしさ、使い方を伝える活動を展開している。 | 詳細はこちら
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