豆は「しあわせ」のタネである

らーめん大文字「釜あげ辛味噌つけ麺」と桜もち

味噌らーめんの中村さん

2017年3月29日、横浜市青葉区もえぎ野の1軒のラーメン店が看板を下ろした。

[らーめん 大文字]が成瀬(東京都町田市)に創業したのは今から30年前のこと。そして、藤が丘(横浜市)にも店を増やした。[味噌らーめん]で名を馳せた2軒の繁盛店は、たくさんの常連客に愛され、ラーメンフリークやファンも多数訪れた。

店主 中村紘さんはラーメンの黄金期を築き上げた立役者のひとりで、博多 一風堂の河原成美さんや、ちばき屋の千葉憲二さん等と並ぶ「ラーメンの大御所」である。

*中村紘さんを2001年5月に取材して書いた原稿が、こちらに載っています。

 

中村さんの[味噌らーめん]には、深い味わいがある。ラーメンの味に加え、作り手の人柄と、もてなす空間、ラーメン用にはまず有り得ない焼きものの丼、そのどれもが[大文字]を表現していた。

 

「店が終わる前に、大文字のらーめんをもう一度味わっておきたい」「ご主人や奥さんや息子さんに御礼を言いたい」と、この3月に藤が丘の店に足を運んだ人が、いったい何人いるのだろう。私がうかがった日も、突き抜ける謝意を届けたい人たちの顔が、店にはたくさん集まっていた。

中村紘さんは、厨房で奥さんや息子さんの仕事を目で追いながら、自分も一杯一杯にラーメン屋としての魂を注ぎ込んでいた。

「店は自分の子どもである」、44歳で始めた店を閉めると決意するまでの葛藤は‥‥。店主の心にある「お客さまとラーメンへの深い想い」を、他人が文字に表現できようはずがない。私は中村さんの筆を待ちたい。

 

釜あげ辛味噌つけ麺

「まぁ、遠くから来てくれて〜」、奥さまが最初に見つけてくださった。

「こんにちは。お疲れさまです。私、なに食べたらいいですか?」

「好きなの食べていいよ。ん〜、そうねぇ、釜あげ食べたことないなら、釜あげにしたら」と、最後の一杯は奥さまに決めてもらった。あんなに親しくしていただいておきながら、失礼なくらい昔に味わった「大文字のおいしい味噌らーめん」の記憶しか、私には残っていなかった。

 

釜あげ辛味噌つけ麺]は、ウェッジウッドの白いサラダボウルに極太麺がおよぎ、鰹節がふわりとやさしい香りを放って現れた。小さいほうの丼に辛みそ味のつけダレ。ピリッとした辛みが、甘めの味噌と対照的。ひと口目は甘いのに、味噌の旨みと出汁の中に潜む隠し味が、深く幅のある みそ味を醸す。

 

黒いスプーンを使って、まるでスープを飲むように、つけダレを何口も味わった。鼻はグスグス、身体がほかほか温かい。16席のうちの1席に私は長い時間居坐った。麺を完食し、かつお味が移る麺汁を返しとしてつけダレに加え、薄まった辛味噌スープもいただいた。昼営業の終盤に、食べ終わっても店を出たくなかったのだ。

 

「あの味噌の深い味わいは、何種類ものブレンドですか?」と訊くと、ご主人は私の予想が及ばない隠し味のいくつかを教えてくださった。大豆と麹と塩で味噌ができる。私がわかるのは、そこまで。味噌らーめんの味噌は、中村紘さんの深い人生経験が凝縮された味なのだ。

甘い、辛い、塩っぱい、酸っぱい、旨い、あと何だろう? いったい何人のラーメン野郎が、この店に味の研究に訪れたことか?

かつてセブンイレブンの黎明期に「中村軍団」の旗印として鳴らした店主の元に、その日は、30年以上前に中村さんの部下だったという紳士が訪れ、[ネギ味噌らーめん]を味わっておられた。

昼営業時に0歳児を連れて食べに来られたご夫妻が、夜の時間帯にもまた家族で訪れ、昼と同じテーブル席に座られた。誰もが皆、自分の人生の時間に大文字の味をかさねて、終わりゆく残りの時間を愛おしんでいるように見えた。

 

中村紘さんと妻・邦美さんの30年という時間は、何百人、何千人の記憶に残る大切な時間なのだと思う。父と母の働く姿を、長男の大介さんは誰よりもたくさん知っている。味を創ることの難しさと第一線に立ち続けることの厳しさ、店を開ける喜びと責任を、大介さんは毎日、両親と共に体感していたに違いない。

父が病に臥したとき、母と二人で店を切り盛りできたのも「大文字」を愛するお客さまたちの期待に応えたかったから。創業の頃に少年だった長男さんは、30年を経たいま、父の味を見事に再現する力量を身につけた。

彼がこの先、愛犬・コブルツくんと共に何をするのか、皆しずかに見守っている。大介さんがラーメン屋をやってもやらなくても、そこには「大文字」スピリットが自ずと現れるはずである。

 

アイドルタイムの桜もち

アイドルタイムに中村さんの奥さまがくださった関東スタイルの桜もちは、紅しだれ色のモチモチ感がある桜もち(こし餡)だった。「今年は桜もち誕生から300周年なんだそうです」と言ったかどうかは記憶に薄い。「関西の桜もちは道明寺粉でつくる俵おにぎり型なんですよね〜」と話しながら、奥さまとおいしくいただいた。

 

軽やかに、清々しく、上品に。

中村さんの奥さまは、目利きのご主人にとって比類なき “上もの”である。この奥さまだから30年、一緒に店に立つことができたのだと思う。共に店を育て、無くてはならない存在感のある[大文字]となり、そして、惜しまれながらの最後を、家族とお客さまが一緒に迎えた。[大文字]が暖簾をおろしても、店を愛する人たちの記憶から[大文字]を消すことはできない。

最終日に近い、そういう1日を見させていただけたことは、私にとっても人生の宝である。

 

ただ一つ残念なのは、せっかく横浜まで行ったのに、根性ナシの私のおなかは[釜あげ辛味噌つけ麺]と桜もちでいっぱいになった。もし、胃袋があと2つあったら、最後に[いわし缶らーめん]と[カレーチーズらーめん]も食べておきたかった。あぁ‥‥。

叶うことならいつの日か、どこかのラーメンの催しなどで「復活・大文字」をやってほしい。「30年、お疲れさまでした」という思いと並行して、「またいつか、食べたいです」と期待する気持ちが消せないのも事実である。[らーめん大文字]と中村家の皆さんは、人々の心にいつまでも、おいしい記憶として残り続ける。

 

 

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豆・豆料理探検家
豆料理アドバイザー

五木 のどか

福岡県生まれ、京都市在住。個人事務所 who(ふー)所属。豆の原稿執筆、レシピ開発、販売促進などに携わる傍ら、豆好きな人を増やすため、豆料理の楽しさやおいしさ、使い方を伝える活動を展開している。 | 詳細はこちら

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