決めごと〜2018 年の暮れ
2018年の年末をもって卒業します
私が豆・豆料理探検家を名乗り始めるより前から続けてきたこと、それは、自分が使う豆と袋をとっておくこと。豆の袋に3〜5粒ほど残して、1年ごとに箱やあられの缶に入れて保管してきました。
そうすると、いざ、手元にストックのない豆を調べるときや、記憶をよみがえらせるのに都合よかったのです。途中から、人様の前で豆についてお話をさせていただくときや、赤飯レッスンや味噌仕込み会のときなど、参加者の方々に説明する資料に使ったりもしてきました。
それって、私にとっての一つの「お守り」だったんだなと、引越し荷物を片付けながら思いました。こんな豆も使ったよ。こんなに作ったよ。いろいろやってるよ。と、自己満足の象徴。
だから、本年末をもって、もう、豆の見本ストックを卒業します。
だって、私はもう、どの豆を見てもおおかたの名前が言えます。市販されている豆の産地も、おおよそわかります。輸入物か国産かも、だいたいわかります。
いちいちストック見本を調べなくても、この10数年のうちに、言えるようになっています。
豆の標本にされた豆粒たちへ
2016年は「国際マメ年」でした。その年、仕事で担当している小冊子で「豆はタネである」という特集を組みました。人が食べている豆は、食べるために生産されています。植物は本来、子孫を増やすために着花し、実を着けます。その実を人間が横取りして食べている。その実はタネで、土にまくと芽を出し、花が咲く。
永遠に循環するし、たくさんの実を着けるのは鳥や獣に食べられたり、天候不順などで発芽しなくてもどれかが生き残って発芽するために、タネという実を着けます。タネは未来への希望で、豆粒もタネ。
私の勉強と安心材料のために剥製のように袋に残った豆粒たちは、「あぁ、おいしい」「おなかいっぱい」と、鳥や虫や人に食べられることもなく、子孫を増やすこともなく、ずっとカラ袋の中で乾燥剤と共に何年も眠らされてきました。
豆によっては、時間の経過と共に色がどす黒く変わったりするものもあります。新豆のときのキレイな色はくすんで、可愛らしさも半減し‥‥
ごめんね。ストック見本にさせられた豆さんたち。
「豆はしあわせのタネである」などと言いながら、豆にとってのしあわせな結末を考えることをしなかった自分が、なんだかちょっとイヤです。たくさんの豆粒たちの行く末を考えよう‥‥
五木のどか、これから先も豆好きは止まないと思います。そろそろ豆ビギナーのような行動を卒業し、もうひとつ上のステージを目指します。
もうすぐ消えてしまう2018年に、心をこめて「ありがとう」。
豆に対するエネルギー凄いものを感じます。
色々学ばせてもらってます。
感謝です。
そしてお疲れ様。
2019年も期待しています。
楽しい事いっぱい皆さんに訪れますように。
高橋さん、いつも見守ってくださって、ありがとうございます。
2019年も、よろしくお願い申し上げます。 のどか