とうふサラダと新横浜ラーメン博物館ご一行様
物事は必然に
京都のラーメンシーンをリサーチしに来られていた新横浜ラーメン博物館の岩岡館長、Nさん、Oさんと晩ごはんをご一緒させていただきました。
気の利いた京都らしい店にすんなりご案内することかなわず、雨の中4人でぞろぞろ流浪した末に行き着いた店は‥‥ かつて某氏が念願した「京都の路地裏にあるお蕎麦屋さんのような店」の入口感ただよう店。烏丸御池駅の近く、地上のスタバにも近い「螢」さん。
岩岡館長はじめ、ご一行様は私の豆話を存分に聞いてくださって、しあわせな夜でした。栄養面、健康面で、これから更に注目されることになっていく豆。
豆とラーメンの好い関係が始まろうと、始まるまいと、のどか史上に残る素晴らしい夜でした。理由は、岩岡館長のステキさを改めて実感できたから。
岩岡洋志 館長のこと
1994年の開館から24年、新横浜ラーメン博物館を訪れたことがある方も多いと思います。私が岩岡館長を初めて取材させていただいて早20年。その後も何度かお話をうかがう機会がありました。私の知る岩岡館長は、ずっと紳士でした。
34歳でラー博をOPENさせるにあたり、30億を超える借金を抱えたそう。「もしも」を考えて、生命保険に入ろうとするも、保険金30億を超える生命保険は無かった、と館長。逃げ場はありません。ひとりの男が、命がけで描いたラーメンの夢の館だったのです。
もう、そういうの、大好き。
時流れて2018年。現在は朝5時半に起きて散歩して、馴染みのとうふ屋さんで、ほの温かさが残る出来立てのとうふを買うのが楽しみなのだとか。ご自身は59歳と言っておられましたが、館長はまだ58歳で、6月に59歳になられる愛妻家さんです。
呉汁の話し、面白かったです。茄子と茗荷を入れた呉汁がお好きで、大豆のすりつぶし具合を微妙に調整するなど、本当に自分でつくっている人の話でした。呉汁を2杯食べたら、3杯目はごはんにぶっかけて‥‥
岩岡館長が注文された「とうふサラダ」は、イメージとは違っていたようですが‥‥ それもまたヨシ。私は「感北斗」の冷やをチェイサーに、岩岡館長の燗酒をいただきました。
Nさんがニコニコ笑って聞いているのもうれしかったし、未来のホープ・Oさんがどうすればモテ男くんになるか、考えるのも楽しかったです。ご一行様、ありがとうございました。ご馳走さまでした。
豆は「しあわせ」のタネである。ラーメン屋がラーメンを軸に人とふれ合うように、豆好きは豆のおかげで、人様と接することができます。
次は私が、新横浜ラーメン博物館にお邪魔します。また、遊んでください(^^)
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